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桜井章一さんは「20年間無敗」ではなかった?

2001年2月14日に「ちゆ12歳」を開設してから、20年が経ちました。

ちゆ32歳

20年といえば、桜井章一さんが無敗だった期間と同じですね。

『近代麻雀』2003年10月15日号
桜井章一さん(『覇王』より)

桜井章一さんは、麻雀業界で「雀鬼」と呼ばれている伝説の人物。

「ヤクザや政治家の代打ちとして、裏の世界の麻雀で20年間負けなしだった」というプロフィールで、『負けない技術』みたいなビジネス書を大量に出版したり、「麻雀の達人」という立場でビートたけしさんや羽生善治さんと対談したりしています。


ただ、この「20年間無敗」、西暦何年から西暦何年のことなのかが曖昧です。

現在の情報を総合すると、実は「18年間無敗」くらいなのでないかと思います。

てことで、今日はその話をしてみます。

「裏の世界の麻雀」「無敗」といった要素は置いておいて、単純に、無敗の時期が「20年」だとすると矛盾が生じるみたいな話です。

「20年間無敗の男」の登場

桜井章一さんが「20年間無敗の男」として世に出たのは、1984年でした。

『近代麻雀』では、1980年12月号の麻雀大会の記事で「一般参加の桜井章一氏」として登場。

1984年2月号の「雀豪20人に聞く 知られざる凄い奴」という記事では、漫画家の北野英明先生が「新宿の雀荘『美里』や『大安』で打っている桜井章一さん」を挙げています。

これらの時点では「20年間無敗」には触れていませんでした。

『近代麻雀』誌上に桜井章一さんが本格的に露出するのは、1984年11月号からで、

『近代麻雀』1984年11月号

この号でわりと唐突に「20年間無敗の男」「伝説の雀鬼」「闇の雀豪」「幻の雀鬼」と10ページ以上に渡って大々的に取り上げられました。

『近代麻雀』1984年11月号

『近代麻雀』1984年11月号

『近代麻雀』1984年11月号

同じ号で、「ドキュメンタリー小説 実録『伝説の雀鬼』」の連載もスタート。

『近代麻雀』1984年11月号

続く12月号でも大きなあつかいで、「山に残った牌が透けて見える男」「マルチ透視打法」として、8ページに渡るロングインタビューが掲載されています。

『近代麻雀』1984年12月号

『近代麻雀』1984年12月号

11月号では、当時の「誌上プロ」と半荘2回の対局をして、桜井章一さんがトップでした。

そのことについて、12月号で「立場が逆だったら、俺は二度と麻雀牌なんか握らないよ」「麻雀の誌上プロには、そんな厳しさがないんだ。そのくせして、謳うことばかり上手だから、俺なんかコノヤローって思うわけ」とコメント。

(そんな桜井章一さんも、のちにビートたけしさんとの対局で負けて「たけしさんの前だとトーンが狂う」などと述べましたが、裏プロを引退した後なら、「雀鬼」が素人に負けても問題ないのでしょうか?)

初期設定

さて、『近代麻雀』1984年11月号に掲載された『実録 伝説の雀鬼』第1話には、次のようにあります。

『近代麻雀』1984年11月号

これによると、桜井章一さんが麻雀を覚えたのは昭和30年代の半ば(大学2年生のとき)

続く部分を読むと、その半年後(季節は秋)にヤクザの代打ちをして、裏プロとしてのスタートを切ったそうです。

「30年代半ば」の範囲は曖昧ですが、昭和37年(1962年)くらいまででしょうか?

(「昭和38年」を「昭和30年代半ば」と書く人は、あまり多くない気がします)


なお、桜井章一さんは、1984年に『近代麻雀』に登場した時点で、裏プロは引退済みでした。

「普通のフリー雀荘で打つくらい」「1年に2度もチョンボするんだから(笑い) 寝ながら打ってる」

という話からすると、遅くとも1983年には引退している印象です。


以上の情報から考えるなら、デビューが「1960~1962年」、引退が「1980~1982年」くらいが、最初期のイメージだった感じになります。

(とにかく、最初は「昭和30年代半ば」でした)

『近代麻雀』1984年12月号

微修正

その「昭和30年代半ば」という表現が、のちに修正されました

『伝説の雀鬼』は1986年に単行本化されたのですが、

講談社ノベルス『伝説の雀鬼』

桜井章一さんが麻雀を覚えたのは、昭和30年代後半(大学2年生のとき)と改稿されました。

確かなことは言えませんが、もしも「昭和35年(1960年)」だったら、「昭和30年代半ば」から「昭和30年代後半」に改稿したりしないという気はします。

昭和37年(1962年)なら、「最初は30年代半ばって書いたけど、やっぱり30年代後半と書く形に思い直した」で納得しやすいです。

昭和38年(1963年)説で、「最初は30年代半ばって書いたけど、よくよく思い返したら、もう少し後だった」という説明もありそうです。

……などと考えるなら、この時点の情報では、デビューが「1962~1963年」、引退が「1982~1983年」くらいでしょうか?


なお、『伝説の雀鬼』などには、麻雀を覚えた大学2年生のとき、桜井章一さんは20歳だったとあります。

講談社ノベルス『伝説の雀鬼』

誕生日

ところで、最初期には「生まれは戦中としか言わない」というキャラだった桜井章一さんですが、現在では、昭和18年(1943年)8月生まれだと公表されています。

誕生日情報の初出が断定できなくて申し訳ないのですが、この生まれ年は、どの資料でも変わらないと思います。

『致知』2002年2月号

てことで、変に想像しなくても、大学2年生のとき昭和何年だったかは計算できるのでした。

昭和38年4月、大学2年になったばかりで麻雀を始めたとすると「20歳」と矛盾します。

昭和39年3月、大学2年の終わりごろに麻雀を始めたとすれば、20歳で麻雀を覚えたことになります。

(もしも浪人していたら昭和40年代に突入しそうなので、浪人や留年はしていないと思われます)

と、「昭和30年代後半」「20歳」「大学2年」といった条件なら、ズバリ昭和39年(1964年)の春に麻雀を始めて、秋に裏プロになったと考えられます。


また、引退の年についても、公式に1983年とされました。

『週刊朝日』2012年1月20日号
『週刊朝日』2012年1月20日号

漫画『ショーイチ』では、「引退試合」は1980年9月27日ごろとあります。

ただ、それだと、1980年9月22日ごろに一般参加した『近代麻雀』の大会と時期が近すぎて変な感じです。

1980年説を採用すると「20年間無敗」の期間も大きく縮みますし、「1980年」は単純なミスで、1983年説が妥当だと思います。

それと、『伝説の雀鬼』では、「引退試合」は「8月上旬の暑い日」とあります。

8月なのか9月なのかは怪しいですが、「引退試合」は夏の暑い日だったらしい? です。


以上を踏まえるなら、「無敗」の期間は1964年の秋から1983年の夏まででしょうか?

情報修正

……などと書いたのですが、実は、最近の資料では、そもそも桜井章一さんが麻雀を覚えた時期が「大学2年生」ではなくなっております。

『近代麻雀』2021年3月号
『近代麻雀』2021年3月号

つまり、大学2年説と、大学4年説があるわけです。

しかし、桜井章一さんのインタビューなどから、これは大学4年説が正しいようです。

『致知』2017年10月号
『致知』2017年10月号

『日経ビジネス アソシエ』2010年12月7日号
『日経ビジネス アソシエ』2010年12月7日号

麻雀を始めた時点で「卒業に必要な単位を取得し終えていた」というのは、漠然と「昭和○年ごろだった」という記憶よりは、具体的なエピソードで信頼できそうな気がします。

現在の『近代麻雀』でも「大学4年」のプロフィールを使っているわけですし、そちらが公式見解っぽいです。


それで、20歳で大学4年生だったとは考えにくいので、「20歳」「大学2年」という情報は間違い。

昭和18年8月生まれなら、昭和40年(1965年)の4月ごろに21歳で麻雀を始めて、その半年後……。

昭和40年(1965年)の秋に裏プロになったと思われます。


だとすると、「無敗」の期間は昭和40年(1965年)の秋から、昭和58年(1983年)の夏までとなります。

いまのところ、この推測がもっとも妥当性が高い気がします。

「昭和30年代」問題

これは、無敗の期間は昭和30~40年代と語られていることと矛盾します。

『日経ビジネス アソシエ』2010年12月7日号

『日経ビジネス アソシエ』2010年12月7日号

しかし、「昭和18年生まれで、大学4年の秋に裏プロになった」という情報は確からしく、「昭和30年代~」というのが間違いと見る方が妥当そうに思えます。


ハッキリしたことは分かりませんが、個人的には、単なる記憶違いだったのかなと思います。

たとえば、2019年1月に放送された『平成ネット史(仮)』という番組に、侍魂の健さんが出演したのですが……。

『平成ネット史(仮)』

と、健さんの記憶では、侍魂を始めたのがたぶん大学1年か2年と語られていました。

しかし、ログを見る限りでは、健さんが侍魂を始めたのは大学3年の終わりごろです。

侍魂の開設は2001年1月。2001年8月には「大学四年生」だと書いており、2002年4月に新社会人になりました。

つまり、実際に侍魂に力を入れていたのは大学生活のラスト1年くらいだったところ、20年近く経って40代になると、大学2年ごろから侍魂をやっていた感覚になっていたのです。


桜井章一さんも同じ感じで、実際に麻雀にハマったのは大学生活のラスト1年だったところ、20年近く経って40代になると、大学2年ごろから麻雀を始めていた感覚になっていた……。

というのも、ありえない話ではないと思います。

おしまい

ともあれ、確からしい情報は「昭和18年生まれ」「大学4年の秋にデビュー」「1983年に引退」です。

その前提に立つと、桜井章一さんが裏プロだったのは昭和40年(1965年)の秋から、昭和58年(1983年)の夏まで

なので、「無敗」だったという期間は、たぶん18年に少し届かないくらいになります。

(かなり長めに見積もって、ギリギリ18年かなという感じです)

これまで見てきたように、初期は漠然と「1960年代アタマ~1980年代アタマ」というイメージで語られていたのが、詳細な情報が出るにつれて少しずつ時期がズレて、「1965年~1983年」になった感じです。

つまり、桜井章一さんは、「四捨五入すれば20年間無敗の男」だったと思われます。

とはいえ、もしも「18年間無敗」だったなら約20年ということで、「20年間無敗」を名乗ってもギリOKな気はします。

「20年だと信じていたのに、18年だったなんて! 裏切られた!」なんて思う人もいないでしょう。

こういう年数って、「だいたいでOKなケース」と「ちゃんと達成せずに名乗るのはダメなケース」がある気はします。

たとえば、会社に18年間務めた男が「家族のために20年働いてきた」と言うのは良いと思いますが、9年連続首位打者を取った選手が「10年連続首位打者をとりました」と言うのはダメみたいな。

その意味では、18年無敗で「20年間無敗」を名乗るのは若干微妙だけどセーフなのかな……というのが個人的な感覚です。

(「20年間無敗の男」という肩書きにそこまで厳密さを求めている人は少ないというか、それについては18年でも20年でもあんま変わらん気がします)

ただ、『実録 伝説の雀鬼』の「20年を超えた」とかは誇張表現っぽいとは思います。

『近代麻雀』1984年11月号

Vシネマ『雀鬼』の「20年間無敗であったことは事実」については、

『雀鬼』の冒頭のやつ

こんな怪しい語りに「18年だろ」とツッコむのは野暮かも知れません。


てことで、桜井章一さんは厳密に言えば「20年間無敗」ではなかったと思われる、という話でした。

でもまあ、もしも18年間無敗だったのなら、「(約)20年間無敗の男」を名乗るのは、おかしいというほどではないかな……と思います。