「大黒柱」の件についての私見
- 久保たかしさんのツイキャスの「大黒柱」問題について、自分の感想を書いてみます。
問題の経緯
2022/6/10のキャス(URL)の、48:30くらいから。
久保さんが、自分のご家庭について話していたところ……。
> うちと似てる
> うちも父無職で宗教はまってて、母親大黒柱なんで親近感湧きます
というコメントがありました。
それを拾って、久保さんが「そうですね。完全に母親が大黒柱ですね、ぼくも」と発言。
それから、
> お母さんがメインで働いてたの?
というコメントを拾って、久保さんは、母は子育て中心で、主にお金を稼いでいたのは父だったという旨の返事をしました。
すると、
> 大黒柱って言葉の意味を知らない?
> それ大黒柱はお父さんって言うんだよ
> 大黒柱っつったら稼ぎ頭なわけでね
> 精神的な支柱のことを大黒柱と思ってる…?
といったコメントが続いて、久保さんは訂正。
「大黒柱って、稼ぐことだけを言うんだ? 精神的な話も含んでるのかなと思った。じゃあ、大黒柱はお父さんでした。すいません」
それから、買ったばかりの辞書を引いてみようという話になって……。

(明鏡国語辞典 第二版)
これを見た久保さんは、次のように述べました。(52:20くらい~)
「……あれっ!? 稼ぎ頭とか書いてないんですけど。『ある集団の中心になって、それを支える人』だったら、やっぱ母ですよ」
「あれぇ? みなさんが間違ってたんじゃないですかぁ? ウフフフフ。あれぇ? 稼ぎ頭とは書いてないですけどぉ~?」

「いいね。辞書みたらマウント取れるのね。なるほどね。『辞書にはこう書いてありますけど』って言ったら強いからね」
という出来事がありました。
「大黒柱」について、私見
まあ、「大黒柱って言葉の意味を知らない?」「大黒柱っつったら稼ぎ頭なわけでね」といったコメントに対する煽り返しとしては、分からなくもないです。
ただ、私の感覚でも、「うちは母が大黒柱だった」と言われると、経済面の話と解釈するのが自然なイメージがあります。
てことで、取り急ぎ「少納言」の用例だけ見て、雑に書いてみるのですが……。
「母子家庭の母又は寡婦は,一家の大黒柱として生計を維持していかなければならないにもかかわらず,職業能力の取得において」(『厚生白書 昭和51年版』)
「ヘルパーとしては女性の方が人気があるし、一家の大黒柱としての十分な収入をすぐに稼げる訳でもないからだ」(『読売新聞』夕刊 2003/6/12)
……という感じに、「一家の大黒柱」は十分な収入を得て生計を支えなければならないという前提に立った用例が出てきます。
また、Weblio類語辞書 では、「一家の大黒柱」に「その家の生計を立る上での中心人物のこと」の意味があるとしています。
もちろん、「大黒柱」という言葉は、広く「ある集団の中心になって、それを支える人」という意味で使われております。
「最高殊勲選手には、サントリーの大黒柱、ジルソンが二大会連続で選ばれた。」(『高知新聞』夕刊 2001/3/12)
「呂布は太師の腹心で、太師府の大黒柱です。」(『三国演義』)
しかし、家庭における「大黒柱」という文脈になると、仕事をして生計を支える存在というニュアンスが入る場合が多いようです。
「一家の大黒柱ともあおぐご主人が倒れ、収入の道がとざされたといったとき」(『鼻はこれで治せる』)
「一家の大黒柱が失業なんて…」(『今宵、天使と杯を』)
「かくして卒業後は、十四歳で一家の大黒柱として曽祖父母を養っていた」(『星さん出とるで明日は天気』)
「パートなどが若干ふえておるわけでありまして、一家の主人公である、大黒柱である働き盛りの男性が失業するということは、私はその家にとっては極めて深刻な影響」(『国会会議録』第142回国会)
「特に、大黒柱を失った遺族の方にとっては生活補償は緊急要件であり」(『そして僕らはエイズになった』)
など、ちょっと見た範囲では、家庭の「大黒柱」の6~8割以上は収入と結びついたニュアンスで使われているように感じました。
そうじゃないものもあるのですが、
「自分が一番恐れるのは、佐代子を失うことと、大黒柱の権威と父の威厳を失うことだ」(『カリスマ』)
こういうのも、「父親」のステレオタイプなイメージが背景にある感じで……。
経済面を支えている稼ぎ手がほかにいるのに、家事や育児を担当している者が家庭の精神的な支えになっているというタイプの「大黒柱」の用例は、パッと見た30件ほどの中には無いようでした。
※もしも、そういう用例がゴロゴロ出てくるようでしたら、私の感覚が間違いだということになります。
探せばないこともないとは思いますが、たぶん、久保さんのような使い方は珍しいのではないかと存じます。
(個人的には、家庭における「大黒柱」という言葉に関して、久保さんの使い方だと、経済面の話だと誤解されて、伝達や表現に支障が出る可能性があると感じます。というか、今回の配信では実際にそうなっていました)
私の感想
と、ちょっと根拠不足で恐れ入るのですが……。
「うちは母親が大黒柱だった」と言われたら、まずは、母親が家計を支えていたという風に受け取るのが、普通の解釈なのではないかなと思います。
まあ、今回のケースは売り言葉に買い言葉で、久保さんに非があると言うのも違う気がしますけど。
なんというか、「辞書の語釈」というのは、「法律の条文」だとか「カードゲームのテキスト」みたいな性質のものではなく、
「辞書に記載がないので、その使い方はルール違反である」
「語釈のこの文言をこのように解釈すれば、こういう意味で使用可能になる」
とか、そういうルールブック的な裁定をする感じでもありません。
なので、
「この辞書には『ある集団の中心になって、それを支える人』としか書いてないのだから、『一家の大黒柱』を『その家の生計を立る上での中心人物のこと』の意味だとか言うのは間違いじゃないですかぁ? あれぇ? 稼ぎ頭とは書いてないですけど~?」
みたいなのは、辞書というものの性質を、若干誤解しておられるように感じました。
個人的には、言葉は「伝わる」かどうかが肝要で、「正しい」かどうかはどうでもいいと思っているのですが…(過激派)。
とりあえず、今回のケースで辞書に載ってないから相手の間違いと判断するのは、ちょっと怖いかなと思いました。
(……って、今回の件に関しては、そういう辞書だの言葉だのはどうでもよくて、まずは品性の問題になる気がするのですが、そういうのは私の担当ではないので置いておきます)
たぶん久保さんが嫌いなのは「パターナリズム」ではないという記事
- 昨年から、久保さんが「パターナリズム」という言葉を自由自在に使うのを聞きすぎて、私の中の「パターナリズム」の概念が崩壊しそうになったので、自分用に整理したものです
- いちおうの内容としては、久保さんの「パターナリズム」という言葉の使い方は少し変わってるから、言いたいことがちゃんと伝わらなかったり、若干誤解されることがあると思う……みたいな感じになります
「パターナリズムですね」の件
経緯1
発端のやり取りは、次の感じ。
・自分がデートに着ていく服装について、久保さんが「どっちがいいですか?」と質問した
・柳さんが「変えた方が個人的に好みだ」と返事をした
・久保さんは「個人的に好み」という言い方が「優しい」と褒めていた
柳さんは、質問にやんわりと応じただけで、久保さんの自己決定権や行動の自由に対する干渉はしていません
通常、この行動がパターナリズムと言われることはないと思います
(久保さんは、昨年10月の黒猫さんの件のときには、「相手より自分が優れているという感じを偉そうに出して、相手の意思を問わずに口出しをしてくる」みたいなのを「パターナリスティックな態度」としていました。
その定義でも、柳さんは、自分が優れているという感じを偉そうに出していたわけでもなく、聞かれたことに返事をしただけで、問題ないでしょう)
経緯2
その後、次のように展開しました
・久保さんが「不機嫌にならないと約束するから、本音を教えてほしい」というように頼む
・柳さんは「久保さんがダサい服を着ても自分としては良かったが、久保くんが恥をかかないために、やんわり『ちょっと違うんじゃない?』と述べた」という意図を説明
この内心については、「パターナリスティック」「パターナリズムと親和性がある」くらいなら言えなくもないかも知れません
とはいえ、久保さんの質問が「フォロワーに裏でクソダサいってボロクソに言われてるので、変えた方が良いなら変えます」だったわけで……。
その言葉を「大勢からダサいと言われたことを気にしている」と解釈して、周囲からどう見られるかを組み込んだ返事をしても、文句をつけられる筋合いはないかと存じます
いちおうの原則論
『自由論』の原則から言うなら、「それが相手のためになるから」「それが相手を幸福にするから」というのは、「忠告・説得・催促・懇願をする正当な理由」とされます
(正当じゃないのは、その理由で強制したり我慢させたりすること)
通常、パターナリズムが問題になるのは「自己決定権」に関することなのですが、今回の経緯では、そこは問題なかったと思います
ただ、「それが相手のためになるであろう」という優劣判断を前提にした援助行動について、それに伴う「傲慢さ」や「失礼さ」(パターナリスティックな態度?)を嫌う風潮はあるようです
久保さんにとって、パターナリズムの問題点は、自己決定への干渉そのものではなく、優劣判断の「失礼さ」にあるようで、今回も、そういう説教をしていました
「ぼくのロジック」
それが、次の話でした
「『久保くんが恥ずかしい思いをしたら可哀想だな』というのが、パターナリズムですね」
「『このひとは(選んだ服装が)格好悪いことに気がついてない』って思ったんですよね? それは『ナメてる』ってことです」
「ナメるのはいいんですけど、『ナメてる』って自覚を持ってナメて欲しいですね」
※この辺が、「この分野では相手より自分の方が優れている」という優劣判断が心にあること自体が「ナメてる」という話に聞こえるのですが、もしも干渉をしていなくても発生する「ナメてる」が問題なのだとしたら、あまり「パターナリズム」は関係なさそうです
とにかく、「ナメてる」のは「失礼」だから、「その『失礼』に基づく援助行動をする際には、『失礼』を自覚すべきである」というのが、久保さんの意見のようです
本人は、
「『舐めていると自覚していればパターナリズムをしていい』というのがぼくのロジック」
という言葉にしています。(2022/6/2 革命基地)
整理すると
通常、パターナリズムが批判されるときは、主に自己決定権の話になると思うのですが、
「自己に関することを他人が決定すべきではない」(通常的な反パターナリズム)
→「相手の判断を軽視するのは失礼」(まあそういう話がされるときもある)
→「失礼なのを認めないのは卑怯だからダメ」(久保さんのロジック)
という展開に受け止めております
「ぼくのロジック」の文言を普通に読むなら、患者のことを「無知な者」とナメている自覚がある医者は、治療方針を支配的に決定していいという話になりそうです
あるいは、日本ボクシングコミッションの「一度網膜剥離を起こした選手は、完治しても引退」という安全規則について、「道徳の自律という原理から不当と判断される」「辰吉自身が自己決定すべき」といった批判があったわけですが……
久保さんのロジックでは、「辰吉さんの判断力をナメていて失礼だから、日本ボクシングコミッションは辰吉さんをナメていることを自覚しろ」という問題になります
つまり、久保さんの言う「パターナリズム」を普通の意味で受け止めるなら、
自分の方が優れており、相手の判断力が劣っているとナメている自覚をちゃんと持っていれば、「それが相手のためになるから」「それが相手を幸福にするから」という理由で、相手に関することがらを決定していい
というのが、久保さんのロジックだと解釈されそうです
余談:久保さんはパターナリズムをしたいように見える
2022年3月に投稿した「ぼくは27歳にして神の態度を身につけてしまったので10億人を救えなくなる」という動画では、久保さんは、次のように語っています。
「27歳にして、ぼくはもう神の態度を手に入れてしまった、みたいなことを思ってて」
「しかも、どうやったら他人を良くできるかっていう方法まで手に入れつつある」
「目の前に最強の教えがあるわけじゃん。めんたねさんという」
「優しくのんびりと構えて、策動癖とかを利用して、相手に気持ち良く自然と気づかれないように変わってもらおうと。それって全然聞いたことないやり方だし、平和なやり方だし、効果的なやり方だし」
「普通の人が、ほとんどはうまくいってない。『これが悪いでしょ』って言って、反発されて、全然変わらない大戦争みたいな中で、うまいこと相手が転がっていく……みたいなさ。そういう超最強のやり方を目の前で見て教えてもらえる状況にあってさ」
「めんたねさんは、人類を救おうという熱い気持ちはなくて、頼んできたらできる範囲でやろうと。ぼくからしたら、もっともっとやろうよみたいな。ノブレス・オブリージュやろうよと。それをぼくがやるっていうさ」
つまり、自分たちの生き方が普通の人たちより優れているという優劣判断を前提に、こっちの価値観になった方が良くなるよ、幸せになれるよと、頼まれてもいないのに、相手に気づかれないように変えてあげるのが「ノブレス・オブリージュ」で、そうやって、どんどん救っていきたいという……。
お前こそがパターナリズムの王子様です。
補足:「ナメてる」の定義について
以下のやりとりについて。
久 「『久保くんが恥ずかしい思いをしたら可哀想だな』というのが、パターナリズムですね。それが『相手をナメている』っていうことは分かりますか?」
柳「ナメてない。心配してる」
久「ほら! 『私はあなたをナメてる』ってことを認められないんですよ、あなたは」
柳「ナメてるわけじゃないです」
ここで久保さんは、「相手をナメているくせにナメていると認めないなんて卑怯な人だな」と思ったそうですが、誤解でしょう
これは、久保さんと柳さんで「ナメてる」という言葉の定義が違っただけです
(柳さんの定義では、「ナメてる」は「心配」や「優しさ」と両立しない性質のもの)
その点で話が噛み合わなかったのを、めんたねさんが仲立ちしました
(めんたねさんはキャスの中で、次のような説明をしました。
「久保さんの中では、普通に『その服ダサいからやめた方がいいよ』『雨の予報あるから傘持ってったほうがいいよ』と言うのも『ナメてる』ことになる。
本来、『その判断は違うと思いますよ』という話は、必ずしも上下とは関係がないが、彼の中では、それが上下と結びついている。
アドバイスしたら全部『ナメてる』ってことになる」)
め「そういう風に定義したら、そりゃ『ナメてる』んだと思うよ」
柳「たしかにww」
久「おっ! やっと理解してもらえました?」
柳「そっかー、ごめんなさい」
久「ナメるのはいいんですけど、『ナメてる』って自覚を持ってナメて欲しいですね。『私はナメてないけど~』って言うと、なんか自分を守ってない? って思っちゃうんで」
これを久保さんは、「柳さんが最初認めなかった自己欺瞞をやっと自覚した」と思っているようですが、誤解でしょう
単に、言葉の行き違いが解消されただけです
おしまい
まあ、言葉の定義そのものは重要ではないのですが……。
久保さんの「パターナリズム」という言葉の使い方は、必ずしも共有されているものではなくて、めんたね界隈や革命基地の外で使うと、伝達や表現に齟齬が出る可能性があると思います
(けっこう会話は成立すると思うのですが、言いたいことが伝わっていない場合、誤解されている場合が出てくるだろうと思います)
あと、パターナリズムについては、「一概に悪いものでもない」「パターナリズムと自由は必ずしも対立しない」「そもそも人は本当に自己決定しているのか」「自由意志とは何ぞや」みたいなことを言いたくなるわけですが、たぶん、久保さんが仰ってる話は、そういうのとは関係なくて……
久保さんが言う「ぼくはパターナリズムが嫌い」は、マナーの話みたいなものだと受け止めております
(こちらとしては、「『ご苦労さま』や『了解』は失礼」とこだわる人だと知ったら、まあ、相手が不快になると分かってるようなことは言わんようにしとこ……くらいの感覚で対応する話になるかなと)
久保さんのTikTok動画の制作意図を文字にした記事です
- 2022/06/01に久保さんがYouTubeに投稿した「今回のコンテンツの背景」という21分の動画、見るのが面倒だと思うので、「だいたいこんな感じのことを話していた」というのを文字にして置いておきます
- 雑に要約しています。だいたいの動画時間を付けたので、もしも内容にツッコミを入れるときは、本人の元の言い回しがどうだったかなどを、元の動画で確認してください
TikTokを選んだ理由
0:00 6/1にTikTokに投稿した4本の動画の「狙い」「どう思いついたか」を喋る
0:40 以前、めんたねさんと「ゆる心理学ラジオ」的な配信をやりたいと言っていたのだが、コストや手間がかかるので、いまはやらない。あれをやるなら、長尺なので投稿先がYouTubeになるが、YouTubeでは、新人の動画は見てもらう機会もなく埋もれてしまう
2:40 TikTokの方が参入しやすいと、色んなインフルエンサーが言っていた。とりあえず200人に見てもらえて、いいねが付けばバズるシステムで、いい動画を作れば、無名な人でもバズれる媒体。しかも、TikTokは短い動画ばかりだから、編集のコストが低い
言論はあきらめた
3:10 短い動画を作るとして、何にしようかと思って。ぼくは自分の言論でバズりたいと思っていたが、言論でバズり倒してお金を稼ぐには、相当に突出していないといけない。自分はそこまでではないと思った
4:20 ひろゆきみたいにキレキレの意見を言うことはできないし、DJ社長みたいに煽ることもできない。カマたくみたいな変顔もできないし、せやろがいおじさんみたいに物凄い話術も持ってない。全部中途半端。だから、ちょっと無理だなと思って、ひとまず言論をあきらめた
理不尽クレーム電話コントを選んだ理由
きっかけ
5:00 言論以外で何をしようかと色々考えて、ベッドに横になりながらTikTokを見てヒントを探してたら、理不尽なクレームが来るのをフィクションでやってる動画があって、それが凄く面白かった。猫カフェなのに、猫アレルギーなので責任とってください、みたいな
「空いてる領域」で「ぼくができること」だと思った
5:40 「これぼくにもできるな」って思った。まず、脚本を書ける。電話形式なら声だけでいいから、ぼく1人でできる(以前、一人二役のコントをやろうと思ったが、カツラとかかぶるのが面倒くさくて、ぼくはそういう面倒くさいことをしたくない)。あと、演劇部だったから、演技ができる
6:50 バズるのって、要は、「いままで世の中にないこと」と「自分の得意なこと」を掛け合わせればいいんだけど、クレーム対応って、ほとんどやってる人いなかったわけよ。さっき言った猫カフェの人が3本くらい投稿してるのと、数えるくらいの人しかやってなくて、すごい空いてる領域なわけよね。しかも、ぼくが得意なことだなと思って
7:30 ぼくが得意なことは「トーク」「笑い」「小説」「相談」「演技」。それが、ほぼ全部使える。喋るし、コントにすれば笑いになるし、小説的な脚本能力も使える。単なるコントじゃなくて、相談能力を生かしてクレーム対応をマジメな方向に持っていき、ぼくが言いたいことを滲ませれば、レンタル話し相手のときにやりたかった相談コンテンツもできる。演劇部だから演技もできる。完璧やんと思った
「ぼくのスピリットにも合う」と思った
8:30 それに、見てもらいやすさも抜群。TikTok は凄い勢いで流れていく媒体だから、最初の1秒、2秒が勝負。それで、人はケンカが大好きだから、「クレーム」の動画だと結構見ちゃう。「クレームって何?」「どんなふうなケンカになるんだろう」って
9:20 ぼくは、平和じゃない動画はやりたくない。「悪人を成敗」みたいなのは浅いし、ただ分断を生むだけだと思うから。この殺伐とした世界に、「ケンカかと思ったら、めっちゃ面白いやん」みたいな感情を与えて、平和な気持ちにさせたい
10:30 笑いとかで、うまいことクレーマーを静める動画なら、ぼくの「ユーモアが大事。ユーモアがないやつが戦争を始める」「怒らずに平和に行きましょうよ」というスピリットにも合う
11:30 などなど、あらゆる面から、すごくいいと思っている
実際に作ってみたら、すぐにバズるのは難しそうだった
脚本と演技が思ったより難しかった
11:40 しかし、実際に作ってみたら、思ったほどうまくいかない
12:00 まず壁にぶつかったのは、脚本が書けなかった。無限に思いつくと思っていたが、全然思いつかなくて。30本も100本も作らないといけないのに、1日1本しか思いつかなくてブルーになった
12:20 なんとか4本は書いて、書けたらけっこう面白かったが、今度は、演じるのがうまくいかなかった。「これバズる演技じゃねえな」みたいな。演技うまくなくてもバズるときはあるけど、バズるの難しいかなと、いまは思ってる。脚本も60~70点くらいだし、演技も下手で30点くらいのコンテンツになっちゃったから
これから改善していきたい
13:10 でも、やめずに改善をしていけばいいと思っている。いろんなコントを見て勉強して、笑いの方程式を見つけていく。勉強していく。身に付けていく。演技を磨く。テンポとかで、クオリティは上がるはず
13:30 アイデアは思いつかなくても、人にもらいたい。TikTokでは、コメント欄で視聴者が「これやってください」ってアイデアをくれるし、1回バズれば無限にアイデアが出てくるのがいいと思う。ただ、最初にバズるまでが難しいから、革命基地の人たちからアイデアをもらえたら嬉しい
理不尽クレーム電話コントという基本フォーマットは良いと思ってる
14:20 形式は凄く良いと思ってる。電話対応なので、目線を外していれば、目がキマってると言われることもない
15:10 「クレーム対応」というパッケージにすることで、言論としても、わりと当たり前のことでも、いいこと言ってる感じがするし、バズりやすくなる
15:40 時事ネタもできる(ホリエモンが野菜にキレたときに、ホリエモンから電話がかかってきて、ホリエモンを諫める動画を作るとか)
16:05 食レポも無限にできる。ぼくは食レポのセンスないけど、革命基地に食レポうまいひとがいて、食レポの言葉を考えてくれたら、食品が美味しすぎるクレームシリーズだけでもバズる気がする
16:30 TikTokは、同じことをバカの一つ覚えみたいにやるのが大事だから。「橋本環奈が可愛いすぎるから仕事が手につかねーじゃねーか!」みたいな美女レポシリーズとか、「この漢字おかしいだろシリーズ」とか、「理不尽な殺人動機シリーズ」とか、無限にできる
18:10 しかも、企業案件に向いてる。「良すぎて迷惑」というクレームが来るコントの人として定着すれば、企業案件が来ると思う。「人をダメにするソファ」とか
19:00 コントとしては、クレームの対応側の方がおかしいパターンもやりたい。あと、綺麗事を言ってる歌詞にキレるとか。「『必ず恋は実る』って、実らなかったぞ!」みたいな。それから、同じクレーマーから何度もクレームが来て、連続したストーリーになっていくシリーズものもやってみたい
20:00 あと、猫カフェの動画の人がやってたのと同じようなノリツッコミもやりたいと思ったけど、一切思いつかなかった。疲れたから寝ます