前置き |
2005年1月16日に、ネットウォッチ系のサイト「ザ・バトルウォッチャー」さんが閉鎖されました。 管理人さんは、インターネットが普及するよりも前からネットバトルをウォッチし続けてきた凄い人。そのサイト内容には、歴史的・資料的な価値があると思います。 そこで、バトルウォッチャーさんのことをよく知らない方向けに、そのあらすじをまとめてみました。 |
12年前(1993年):バトルウォッチャー誕生 | ||
細川連立内閣が発足し、Jリーグが始まって、「美少女戦士セーラームーンR」が放送された年。 インターネットが一般に普及するのはもう少しだけ後の話で、当時の主流は会員制のパソコン通信。その最大手がニフティでした。 たとえば、ニフティの「サイエンスフォーラム」では、当時から野尻抱介先生と山本弘先生が「科学の天使 スーパー・ノヴァちゃん」の話で盛り上がったりしています。 そんなニフティに、趣味の歴史や軍事に関する情報を求めて、1人の男性が現われました。 のちに哭きの竜というハンドルネームを名乗ることになるお兄ちゃんです。 当時はユーザー数も少なく、パソコン通信は情報収集に向きませんでした。しかし、そこでお兄ちゃんは、生まれて初めてパソコン通信で本気でケンカしている人たちを目撃します。 詳しい経緯はお花畑の狂詩曲(ラプソティ) 第1部で述べられていますが、とにかく口論から掲示板閉鎖までを見届けたお兄ちゃん。次のように考えます。
1人のウォッチャーが誕生した瞬間です。 「猿の軍団」を小2で見たという自己紹介を信じるなら、お兄ちゃんが20代後半の時のことでした。 ※「猿の軍団」……当時の流行だった「1ばんめのこな(猿の惑星)」と「2ばんめのこな(小松左京)」をねるねるねるねした特撮。裏番組は「アルプスの少女ハイジ」と「宇宙戦艦ヤマト」で、当時「ヤマト」はあまり人気がなく、「猿の軍団」と「ハイジ」で人気を二分していた。 なお、お兄ちゃんは、その初めてのバトルウォッチだけで1万円を失ったそうです。 現在のような常時接続はなく、「1分10円」といった課金制。パソコン通信に月5万円とか払ってる猛者がゴロゴロいた時代でした。 |
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補足:「哭きの竜」について | ||
「哭きの竜」というハンドルネームは、漫画「哭きの竜」から取ったものでしょう(漫画のキャラクターを演じたりするわけではなく、単に名前を借りただけの様子)。 ※「哭きの竜」……「あンた 背中が煤けてるぜ」などの決め台詞が人気の麻雀漫画。極道のおっさんが「竜よ〜〜っ おめぇの運をわしにくれ」と叫び、竜がチーやポンをすると麻雀牌が閃光を放つ。 このハンドルネームについて、お兄ちゃんはこう語っています。
また、実は最初から「哭きの竜」を名乗ったわけではなく……。
……そう。お兄ちゃんは、パソコン通信の事情で哭きの竜の皮をかぶることになりましたが、正体は雨宮賢なのです。 人間の力をはるかに超えた竜の麻雀をもしもこの世に敗るものがいるとすれば――雨宮賢 そんな鳴り物入りで「哭きの竜」に登場した雀士が、雨宮賢でした。 「牌をなくなど邪道」というポリシーを持ち、相手が牌をなくたびに、「ひとつさらせば自分をさらす」「ふたつさらせば全てが見える」「みっつさらせば…地獄が見える」とつぶやきます。 ちなみに、雨宮が竜と会話すると、次のようになります。 竜「あンた 背中が煤けてるぜ」 雨宮「くっ そのセリフ しかと胸に刻んだ!」 雨宮「ひとつさらせば自分をさらす」 竜「ふっ――自分をさらせば 己れがまた哭きたがる」 そして物語終盤、このままでは竜に勝てないと思った雨宮は、こう決意します。 「この一局15分――この一局に勝っても負けてもオレは死ぬ…そう思えばいい」「そう思えばこの一局に全てを賭けられる」「全身全霊…賭けられる」「この一局が終ればオレは死ぬ」「15分の命」「ひゃはっ ひゃはっはっはっ」 そして、「あとオレの命 10…分」「オレの命……あと5分」とカウントダウンしながら麻雀を続けた雨宮。 偶然か必然か、残り時間ちょうどに銃で撃たれ、「め 眼鏡を」「…誰か」「眼鏡を…下さい」「…見えない」「だ 誰か…眼鏡を」「…下さい」「…眼鏡を」「…下さい」と言いながら絶命するのでした。 |
10年前(1995年):バトルウォッチ→飽きる | |
時代は変わって1995年。阪神大震災や地下鉄サリン事件が起こり、「新世紀エヴァンゲリオン」の放送が始まった年です。 ネット業界では、Windows95が流行り、テレホーダイ(夜11時から朝8時まで、ネットの電話代が固定料金で済ませられるサービス)がスタート。 しかし、「なんかマルチメディアってのが流行ってるから30万でパソコン買ったんだけどエロゲーにしか使ってねぇよ」という人もまだ多く、だれもがぼんやりマウスをカチカチしているだけで何となくヒマを潰せる時代はもう少し先のことです。 そんな頃、海外に行っていたお兄ちゃんが、日本に戻ってきました。さっそく、ニフティでケンカしている人たちを眺めて楽しみます。 このころ見聞きしたバトルの様子について、お兄ちゃんはお花畑の狂詩曲(ラプソティ) 第2部で楽しそうに語っていますが、結局、すぐに飽きてしまいます。
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9年前(1996年):飽きる→バトルウォッチ | |||||||||||||
インターネットの普及は進み続け、「日本初のインターネット犯罪摘発事件」(エロ画像をネットに流した28歳会社員が逮捕されて有罪判決)があった年。 ニフティでは、「鬼畜王VS千破矢」事件が起こっていました。 インターネットと違って、 ニフティは固定ハンドル制。パソコン通信上の対立は、個人対個人のドロンドロンの罵倒合戦に発展します。 「SPA!」誌上討論会から、当時の様子が伺える部分をご紹介しますと……。
……この頃のネットバトルでは、住所がバレてイタ電をかけられるのは常識だったようです。 ともあれ、これを生で目撃したお兄ちゃんは大喜び。
再びバトルウォッチ熱をあげるのでした。 |
8年前(1997年):正理研究会とのバトルに参加 | |
97年の頭にもなると、インターネットもだいぶ普及していました。 日本でインターネットの未来に思いを馳せるのが一番楽しかったのはこの頃でしょうか。「インターネットはからっぽの洞窟」が翻訳される一方、「もしインターネットが世界を変えるとしたら」では、インターネットのリンクについて、次のように述べられていました。 「このような物理的な距離を越えてトランスローカルに連帯する発想は、新しいタイプのコミュニティーの基礎になるだろう。そこでは、国土と一体になった国家の発想は終わっており、近代国家の先にあるものが示されているのである」 そんな時代の流れに押されて、会員しか参加できないニフティは、だんだんとすたれていきます。 そんなある日、お兄ちゃんは、ニフティで「正理研究会のメンバー」と「その他一般人」がやり合っているバトルを目撃します。 詳しい経緯はお花畑の狂詩曲(ラプソティ) 第3部に書かれていますが、お兄ちゃんは正理研究会に対して「ちょうど不潔なゴキブリを見たら叩きたく潰したくなるような」感情を抱いたそうです。 そして、これまでバトルは「ウォッチ」だけだったお兄ちゃんが、はじめて、正理研究会を罵倒する側として参加します。 ところが、正理研究会の人たちは、罵倒側の主要メンバーの相手だけで精一杯。お兄ちゃんは、いくら罵倒してもあまり返事をもらえません。 そこで、相手に直接怒りをぶつけるよりも、むしろバトルをウォッチしている人たちを笑わせることが目的の発言をする方針に切り替えます。
それをしばらく続けたお兄ちゃんですが、11月には「もう完璧に飽きてしまったのだ」となります。 |
7年前(1998年):初代「ザ・バトルウォッチャー」 | |||
「カードキャプターさくら」が始まった年。 ネットでは、11月に「絶望の世界」が開設され、年末にはドクター・キリコ事件(24歳の女性が自殺系サイトで買った青酸カリで自殺し、そのサイトの管理人も女性の死を知ると自殺した事件)がありました。 「その後、ちょっと書けないことが色々あって、とにかくマジで全くやる気がなくなった」というお兄ちゃんは、もう二度と人を罵倒しないと決心。 「バトルは見るけど、戦わない」という方針を掲げて、ニフティの中に、「秘密結社 ザ・バトルウォッチャー」というパティオ(掲示板みたいなもの)を作ります。
お兄ちゃんはこの時の心境を、「秘密結社 ザ・バトルウォッチャーの歴史」で次のように語っています。 「立ち上げた動機はまごうかたなく単なる思いつきと道楽である」「何のビジョンも計画もなく、当時ニフティに散在していたアングラパティオをつくりたかっただけなのだ」 そして、最初の数ヶ月は、お兄ちゃんが「冷蔵庫時代」と呼ぶ時期。あまり話題もなく、お兄ちゃん自身、「見るに忍びなく1週間に一回しかアクセスしなかった」そうです。 その後、三枝(さいくさ)さんが登場。普通の会話をしているところでも、この方が参加するとなぜか罵倒合戦になってしまうという不思議な人物で、ニフティがどんどん荒れていきました(ちゆニュース「ニフティ会議室の名誉毀損、地裁判決」にも三枝さんが登場)。 これに喜んだお兄ちゃん、三枝さんの議論術を「人を怒らせる秘孔を突く北斗神拳」にたとえてみたり、三枝さんの発言時間帯を細かく調べた表を作って「本当に仕事をサボってニフティにのめっているのか」を検証してみたりと、いじり倒します。 その他にも色々あって、バトルウォッチャーは賑わいました。
ところが、のちの発言では、「ぶっちゃけた話、98年の11月頃に飽きたんだよ」とも告白しています。 そんな思いもあってか、「ザ・バトルウォッチャー」開始から1年ほど経ったある日、お兄ちゃんは、その閉鎖を告知するのでした。曰く、
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6年前(1999年):「ザ・バトルウォッチャー2nd」 | |||
この年、バナナをくわえて大人気になったネットアイドルのMICHIKOさんが100万アクセスを突破。「ネット界の怪物」と呼ばれ、写真集「バナナ伝説」が発売されました。 また、5月には2ちゃんねるがスタート。東芝クレーマー事件などの話題で盛り上がり、年末にはかなりの規模になっていました。 さて、この年の頭のことを、お兄ちゃんは「第48装甲軍団の死闘」という文章の中で、次のように思い返しています。
ところが、お兄ちゃんにかわって「ザ・バトルウォッチャー」を引き継ぎたいという人物が登場。 お兄ちゃんもこれを了解して、「ザ・バトルウォッチャー」の終了と入れかわりに、後継パティオ「ザ・バトルウォッチャー2nd」が誕生しました。 オーナーは別の人にかわったのですが、お兄ちゃんもちょこちょこと発言。末期のニフティで散発するバトルをウォッチしていくことになります。 お兄ちゃんのこの年の感想は、次のようなものでした。
そして、11月。バトルをウォッチするはずの「ザ・バトルウォッチャー2nd」内でバトルが発生。のちのホームページでは、この件を次のように振り返っています。
さらに、「@niftyのバトルウォッチャーPATIOを考える」などの2ちゃんねるのスレッドから、このバトルウォッチャー内バトルをウォッチされるという事態に。 お兄ちゃんは、「自分のやっていたお株を奪われたと強く感じた。お客さんがあっちへ流れてしまう。バトルウォッチャーパティオの存在意義そのものが喪失してしまうと焦りを感じた」そうです。 |
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補足:2ちゃんねるとの出会い | |||
2ちゃんねるに初めてアクセスしたときのことを、「2ちゃんねる中毒」という本のコラムで、お兄ちゃんは次のように振り返っています。
ちなみに、そこでの2ちゃんねる評は、次のようなものでした。
もちろん、参加している名無しさん一人一人の側からはまた違う世界が見えるでしょうし、別に2ちゃんねるはバトルするだけの場所ではありませんが、外部からの視点で、2ちゃんねるをバトラーとして見た分析としては面白いと思います。 なお、2000年12月23日の日記には、「わたしはかつてとある板でモナーから心ないレスを付けられてひどく傷つき、モナーを心から憎むようになり、(略)今でもあの時の心の傷は癒えていない」ともあります。 |
5年前(2000年):「真 ザ・バトルウォッチャー」1年目 | ||||||||||||||
この年、自殺志願者の管理人が自殺決行までの日数をカウントダウンしていくホームページ「終る世界」が話題に。約束の最終日(2月5日)に「それでは、行ってきます」と書き残して、更新が途絶えます。 さて、「ザ・バトルウォッチャー2nd」は、「諸般の事情により」1年で終了。 次のオーナー候補が現われなかったため、ふたたびお兄ちゃんが引き継ぎ、3代目になる「真 ザ・バトルウォッチャー」がはじまりました。 「第48装甲軍団の死闘」という文章では、この時のことを、次のように思い返しています。
そうして、「ネットレスリング」 「2CH/広末板のklissさん」 「ネオむぎ茶事件」など、精力的に更新するお兄ちゃん。 ニフティからインターネットに流れていった三枝さんの様子も、「三枝 VS 細田 家庭裁判所編」 「星になった三枝さん」 「三枝さんの逆襲」と追いかけていきます。 しかし、この頃のお兄ちゃんの心境は、実は次のようなものだったそうです。
また、先日「お株を奪われた」と感じた2ちゃんねるに対しては、次のように考えていたそうです。
2ちゃんねるの管理人・ひろゆきさんに対しては……。
そんな思いを抱きながらも、お兄ちゃんは、夏のコミケに向けてバトルウォッチャーの同人誌を制作。 同人誌の題材に選んだのは、ニフティのフォーラムなどを舞台に起こった、伊藤剛さんと唐沢俊一さんの確執でした。 事件当時、それを話題にしていたバトルウォッチャーのパティオに、当事者である伊藤さん本人が登場。お兄ちゃんが伊藤さんに蒸し鳥チャーハンと生ビールをおごる約束を交わしたりしました。そうして多少の接点があった伊藤さんに、お兄ちゃんは同人誌への寄稿をお願いすることにします。 そして、お兄ちゃんの文章「伊藤さんの物語」(「オタクアミーゴス編」 「夏エヴァ編」 「あれは何だったのか?編」 「激突!裁判編」 「"オタク"が終わったあとに編」 「THE LEGEND OF ITO ONE MORE FINAL」の6部構成)に、伊藤さん本人の寄稿文などが加わった同人誌が完成しました。 なお、お兄ちゃんの文章は、唐沢さん側の主張に偏って書かれており、伊藤さん側からの見解は、「唐沢くんかわいそうに」、裁判当時の伊藤さんのホームページのコンテンツ、裁判後の主張「"オタク"が終わったあとに」などで読めます。 また、この頃、「インターネット無法地帯」という本への原稿依頼が来て、お兄ちゃんはライターデビュー。ハタから見ると、順調な活動に見えました。 しかし……。
お兄ちゃんは、依然として悩み続けていました。 8月末には、こんなことを考えるようになります。
そして、来年の1月16日までに「自分が納得できるなにがしかの成功」を得られなければ、パティオもホームページも閉鎖してネットから消え去るという決意をするのですが……。
それは、哭きの竜のライバル・雨宮賢の発想です。
こうして、「なにがしかの成功」を目指しながら、自殺カウントダウン生活を始めるお兄ちゃん。……でも、『哭きの竜』の雨宮賢は、発狂したように麻雀を打ち続け、「眼鏡を…下さい」と死んだのです。 9月1日。 お兄ちゃんは、ひろゆきさんが出演するイベントを見に行きます。
9月3日。 愛・蔵太さんの「ReadMe! おすすめサイトありったけレビュー」で、「真 ザ・バトルウォッチャー」が「更新頻度には難があるし、世間に対する目も広くないようです」と紹介されているのを知って、お兄ちゃんは地味にヘコみます。 そして、9月20日の夜。
伊藤さんが怒った理由は、事件を中立の立場から見た本だと思って寄稿したのに、お兄ちゃんの文章が、唐沢さん寄りに偏った内容だったから。 お兄ちゃんは、「伊藤さんの物語」廃刊についてとして、同人誌を廃刊処分にすることを告知します。曰く、
この出来事で、「ますます書く事もログを読むこともできなくなった」というお兄ちゃん。 9月23日。 今度は永山薫さんから電話がかかってきました。
とにかく、永山薫さんに「言論の方は言論でつけなければならない」と諭され、お兄ちゃんは、この件に関する自分の意見を文章化する約束をします。 その後も、同じように生活が続いていき……。
そして、10月22日。
その後、お兄ちゃんは、永山薫さんとの約束を果たすため、先ほどから抜粋させて頂いている文章「第48装甲軍団の死闘」と、「あらすじ文学論と伊藤氏と唐沢氏の問題に関するわたしの意見」を書きました。 |
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補足:「あらすじ文学」について | ||||||||||||||
「あらすじ文学論と伊藤氏と唐沢氏の問題に関するわたしの意見」は、お兄ちゃんがどのような活動スタンスで「伊藤さんの物語」を書いたのかを表明するものでした。
お兄ちゃんによると、「あらすじ文学」は、3種類に分けられるそうです。 ●資料体(生ログをそのまま無断転載する) ●記事体(経緯を自分の言葉でかいつまみ、引用をまじえつつ要約化する) ●小説体(事件経緯をひとつの完結したストーリーに疑して物語化する) 当「ちゆ12歳」にも、「あらすじ」の類の文章がありますが、その分類なら「記事体」にあたるものが多いと思います(「はじめてのおるすばん」騒動、エッグマンの挑戦など)。 まあ、ちゆの場合はネットの出来事に限らず、幼女誘拐事件のあらすじとかガンダムSEEDとか、何でもかんでもとりあえずまとめておくのが好きなのですけど。 それはさておき、お兄ちゃんが得意なのは「小説体」で、「事実関係そのものを超越して、事件の物語性、ストーリー性を重視する」こともあるそうです。
12月23日の日記でも、自分のサイトについて、お兄ちゃんは次のように書いています。
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4年前(2001年):「真 ザ・バトルウォッチャー」2年目 | |||||
この年になると、ケーブルTVインターネットやADSLなどの常時接続がだいぶ普及します。当「ちゆ12歳」の開設も、この年の2月でした。 1月、お兄ちゃんは、2ちゃんねるを速く読むために速読術の練習を開始。 ちょうど以前からお兄ちゃんが何度もネタにしていた若桜木虔先生が書いた「1日15分の速読トレーニング術」を本屋で見つけたので、それを買ったそうです。 そうして、「無断リンク大嫌い!」や「マサヤの世界」など、それなりに頻繁に更新。2月21日の日記では、アスキーの「テックウィン」で紹介されたと喜んでいます。 また、フジテレビの「EZ!TV」に(電話でインタビューに答える形で)出演するなど、2ちゃんねるに詳しい人物としてメディアに出る機会も増えました。 しかし、「ここ1年は帰宅後と休日は、ずっと2ちゃんねる(のしかも荒れたスレッドばかり)を観ている」「何やってるんだろう、オレは?? こんなこと面白いのか?」と悩むお兄ちゃん。 相変わらず2ちゃんねるの閉鎖を望む気持ちは強く、3月30日の日記では、2ちゃんねるが初めて裁判を起こされたのを見て喜びます。
そして、この年の夏、最大規模の2ちゃんねる閉鎖騒動が起こりました。 簡単に言うと、2ちゃんねるを読んだり書き込んだりする人の数が増えすぎて、サーバ屋さんが悲鳴をあげた事件。 お兄ちゃんはリアルタイムで「壺がわれる日」 「壺がわれる日〜難民編〜」 「2ちゃんねるが売りに出される」 「避難所物語」と追っていき、事態がおさまると、「壺がわれる日〜THE END OF 2CHANNEL」という長文(「序章」 「第一章」 「第二章」 「第三章」 「第四章」 「第五章」 「第六章」 「ONE MORE FINEAL I need you」)にまとめました。 一方、この時期、フォントいじり系と呼ばれるホームページが流行。 そのブームを作った当時の超人気サイト侍魂さんにもお兄ちゃんは興味しんしんで、「侍魂のことなど」 「また、侍魂ネタ」 「侍魂研究:狂った機械」 「侍魂研究:狂った機械2」 「侍魂研究:断章」と、続けて取り上げていきます。 しかし、6月24日の日記では……。
この後、お兄ちゃんが侍魂さんを大きく取り上げることはなくなりました。 そんな感じで、夏ごろから愚痴が増えます。 たとえば、7月10日の日記では……。
また、7月13日の日記では……。
そんな中、1ch騒動なるものが起こり、お兄ちゃんも精力的に追いかけていきました。 主要なレポートを並べるだけで、次のように大量になります。 「アスキー元社長の西和彦 連日『2ちゃんねる』で大暴れしていない」 「俺の戦うあいてはこいつらだ!」 「“2ちゃんねる”には欠陥がある!」 「あめぞうの復活」 「ひろゆきの十字架」 「ひろゆきの十字架(その3)」。 「ひろゆき大統領、1ch.tvと『交渉はしない』」 「1ch.tv考−ゴミはゴミを呼ぶ−」 「あめぞう原理主義運動と1ch.tv」 「富士見いおた氏が『反2ちゃんねるキャンペーン』を宣言」 「『清水康司こそ、1ch.tv最大のコンテンツである』 切込隊長国防長官」 「1ch.tvでクーデター?年金氏、富士見いおた氏が追放?」 「年金氏『氏ぬ準備は出来ている』 単独会見で」 「1ch.tvクーデター失敗…」 「“やさしさ”…ってなんだろう?」 「ひろゆきとあめぞうを思ふ」 しかし、12月11日の日記では……。
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3年前(2002年):「真 ザ・バトルウォッチャー」3年目 | ||
もろもろの事情で「真 ザ・バトルウォッチャー」のアドレスが変わったりしましたが、大きな変化はありません。 「浜崎あゆみ騒動」、「いちごびびえす問題について語ろう」(続き)、三枝さんの近況などをレポートした「作家の肖像」など、それなりに多くの更新があり、「切込隊長離脱問題」や「動物病院裁判判決要旨」といった2ちゃんねる関係の話題は多いです。 鎮静化した1ch騒動のその後も、それなりにレポートします。 「富士見日本一の兵(つわもの)」 「『モナー』vs『バリューエクスチェンジシステム』」 「共同体幻想への無批判な依存の否定(と、嫌悪の証明)」 「今ごろ思ふ 1ch.tvはなぜ生まれたのか?」 「1ch.tv落城」 「1ch.tvの陣 落日の章」 「反2ちゃんねる過激主義〜彼らはなぜ闘うのか〜」 「さよなら 1ch.tv」 そして、この頃、お兄ちゃんが最もハマったのはチャンピオン系スレ粘着荒らし事件です。 これは、少年チャンピオンで「しゅーまっは」を連載していた伯林先生が、高校時代の同級生から「お前のペンネームはオレの本名に似てるから改名しろ」と要求され、数々の嫌がらせを受けた事件。 お兄ちゃんは、序盤の経緯を「改名〜2ちゃんねるチャンピオン系スレ粘着荒らし事件〜」 「その2」 「その3」とまとめます。 裁判が始まってからの話は、「来訪者編」 「そして彼は改心した」 「第2回口頭弁論」 「今日が判決」 「史上初の満額敗訴」 「決戦!<最終・兵器>編」 「残されたもの」とレポートしました。 そして、これが、「ザ・バトルウォッチャー」のウォッチした最後の大きな事件でした。 この夏ごろから、ぐっと更新頻度が落ちます。7月8日の日記には、「1ヶ月ほどHPの更新を止めてました」「あースッとした」「アクセス数下がりまくりである。これでいいのだ」とあります。 7月17日の日記では、「暇だ。2ちゃんねるでも潰れねぇかな…」「2ちゃんねるが潰れるところを死ぬ前に見たいな」と、いつもの2ちゃんねる話。 8月28日の日記では……。
そして、12月29日の日記。
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2年前(2003年):「真 ザ・バトルウォッチャー」4年目 | ||
この年、お兄ちゃんの日記の更新は、月に1度あるかないかくらいのペースになりました。 「2ちゃんねるは崩壊するのか?」 「2ちゃんねるいよいよ閉鎖!?」 「ところで、ほんとうに2ちゃんねるは大丈夫なのか? 」といった2ちゃんねる閉鎖ネタが多く、それ以外では、愚痴や懐古が中心になります。 たとえば、9月23日の日記では……。
12月17日の日記では、とうとう「ウンコ」「ウンコ」言い出します。
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1年前(2004年):「真 ザ・バトルウォッチャー」5年目 | ||
この年、お兄ちゃんのバトルウォッチはほとんどありませんでした。 6月5日、ニフティのパティオで、バトルウォッチャーの今後について次のように発言しています。
そして、最後の通常更新となった9月18日の日記では、昔の自分の文章を読み直して……。
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今年(2005年):「真 ザ・バトルウォッチャー」終了 | |
ニフティのフォーラムが、今年の3月ぐらいまでに全廃されることになりました。 確かに、パソコン通信はとうの昔に存在意義を失っており、終わるべくして終わるのでしょう。 しかし、思い出深いバトルの数々が起こったニフティのフォーラムの消滅は、お兄ちゃんにかなりのショックを与えたと思われます。 そして、1月4日の日記で、「ザ・バトルウォッチャー」の終了が告知されました。
1人の閲覧者としてはとても残念ですが、考えた末のことなのでしょう。 そして、約束の16日の24時ほぼきっかりに、ニフティのパティオとホームページが消えました。 なお、2chの「ニュース速報+」には、ネットウォッチの先駆的存在「ザ・バトルウォッチャー」が閉鎖へというスレッドが立ちましたが……。 >こんなサイト初めて知った >ネット長いが、初めて聞いた。速報+に出すような記事なの? 自分の知り合いだからとか、良く見てたからって理由だけで記事にしてない? >初めて知った。ほんとどうでもいい。 >ついにバトウオも閉鎖か・・・て聞いたこともないのですが 残念ながら、「ザ・バトルウォッチャー」を知らない方が多いようでした。 でも、ちゆは知っています。ニフティのフォーラムやインターネットに、哭きの竜という人が生きていて、本当に、色々なことがあったと。 できれば、お兄ちゃんの名前が「ネットの羅貫中」として、この界隈の歴史に、ずっと後まで残って欲しいと願います。 少しでもその助けになればと思い、ほんのあらすじだけ、ここに書かせて頂きました。 ネットアイドルちゆは、もう哭きの竜という名前ではなくなったお兄ちゃんを応援しています。 |