ちゆ予言

(実は予知能力を持っているちゆの、的中した予言を解説します)


小泉内閣の誕生とその日時をピタリ的中

はじめに

ベンバヤシの顔写真

 オレの名前はゴトー・ベンバヤシちゆ予言研究の第一人者だ。

 ちゆちゃんは、数々の恐ろしい予言で知られている。
 たとえば、こみけこむのこむちゃんの正体と世界の行く末に関する、恐怖の予言。これについては、ちゆファンクラブ会員番号52番のkagami氏が詳しく解読している。ぜひ暗黒KANON「こむちゃんコンサート〜神々の黄昏〜」というコンテンツを読んで欲しい。

 そして、最も有名な予言が次の詩だ。

 2999の年 7の月
 空からピッコロ大魔王が降ってくる
 モンゴルマンの大王を復活させるため
 その前後、キバヤシは幸福の名のもとに支配に乗り出すだろう

 謎が多い文章だが、2999年の人類滅亡を意味する予言だと思われる。この謎を暴き、人類が助かる道を模索することがオレの使命であり、生きがいだ。

 さて。
 破滅の予言詩についてはいずれ語ろう。今日は、的中率99パーセントと言われるちゆ予言の恐るべき正確さを知ってもらいたいと思う。
 実はオレの研究で、平成13年3月10日に公開された「予言番号0007」の正体が明らかになった。その研究成果をご報告することで、ちゆ予言の凄さの片鱗でも感じてもらえれば幸いだ。

 予言番号0007は、こんな詩だ。

 雪国で生まれた砂漠の蜃気楼は
 全ての偽りが許される日から間もなく、かき消える
 それは四つの門の哀れな病人が死ぬとき
 後を継ぐのは、小さな小さな鏡と花


1、2行目

 まず、1行目を見てみよう。

 雪国で生まれた砂漠の蜃気楼は

 下層大気の温度差などのために空気の密度に急激な差が生じて光が異常屈折し、遠くのオアシスがすぐ近くに見えたりする現象。それが蜃気楼だ。
 雪国でこれが見られると言えば、富山県の魚津海岸のことだろう。

 しかし、魚津海岸は砂漠ではない

 無論、雪国に砂漠はない。また、雪国で発生した蜃気楼が遠い砂漠から観測できることも有り得ない。
 つまり、これは荒唐無稽。だれが見てもデタラメと思える予言なのだ。

 これまで数々の信じられない予言をしてきたちゆちゃんの超能力も、ついに底が尽きたのだ。ここから、彼女の予言体系すべてが崩れてくる。だから人類の滅亡も起こるまい
 …そう思って、オレは救いへの突破口を見つけ出した気になった。

 だが違う。
 ちゆ予言は、そのように底の浅いものではない。

 そもそも、なぜ予言は訳の分からない四行詩で書かれるのか。
 理由は簡単。現代日本で予知能力を持っていると知られれば、実験体としてNASAに拉致されるからだ。
 現にMMRは、こう報告している。「学校で黒板消しを浮かせる超能力を披露したミヤモト少年は謎のコートの男たちに連れ去られ、それっきり帰ってこなかった」と。

 だから、それと悟られないように比喩を織り交ぜ、暗号のような予言を公開するのだ。それを踏まえて冷静に考え直すと、意味不明に見えたこの詩の意味が鮮やかに見えてくる

 いま日本で「蜃気楼」と言えば、森喜朗のことに決まっている。
 「雪国で生まれた」というのは、彼が北陸・石川県の出身であることを意味する。もちろん「砂漠」は東京砂漠のことだ

 つまり、このフレーズ全体で「石川県で生まれ、東京で総理大臣になった森喜朗は」という意味となる。

 続いて、2行目はこうだ。

 全ての偽りが許される日から間もなく、かき消える

 「全ての偽りが許される日」はエイプリルフールのことだろう。
 それから間もなく消えるとは、森内閣が4月中に退陣に追い込まれることを意味するのだろう。

 この予言が公開された3月10日の時点で、すでに森首相の退陣は時間の問題と言われていた。だから、ここまでは予言ではない。冒頭の2行で、「これから何について予言するか」を示したに過ぎない。

 つまり、ちゆちゃんは1〜2行目でこう言っているわけだ。
 「森首相は間もなく退陣しますが、その後継や正確な時期はまだ不明です。それを、この3月10日の時点でピタリ予言してみせましょう」と。


4行目:小泉内閣を予言

 次に3行目を飛ばして、4行目を先に考えることにする。

 後を継ぐのは、小さな小さな鏡と花

 これは明らかに、「森総理の後継は誰か」について予言したものだろう。もちろん、実際に後を継いだのはDr.マシリト似の小泉純一郎だ。

 しかし、とは何か。それに、とは。
 確かに「小」という文字はある。しかし、まさかそれだけで「小泉総理を予言した」とは言えまい

 やはり、ちゆちゃんの神通力は衰えてしまったのか。いや、これまで当たっていた予言も、そもそも偶然やこじつけに過ぎなかったのではないか。

 「この世には不思議なことなど何もないのだよ。関口君」

 ふと、京極堂の言葉が脳裏をよぎる。そうだ。超能力など非科学的だ。そもそも、たとえゴキブリが死に絶えても、人間様が滅びるはずはないありがとう、大槻教授
 すっかり気をよくしたオレは、慰安旅行に向かうことにした。長年ふりまわされた予言詩解読などというものを忘れ、のんびりと骨休めをするのだ。

 行き先は北陸。石川県にあるという森喜朗の生家を訪れるのだ。

 ところがその北陸の地で、オレは見てはならないものを見てしまったのだ。もしもそれを見なければ、オレは予言などというものを忘れて、心安らかな暮らしを送ることができたに違いない。
 しかし、見て、知ってしまった以上、仕方がない。やはりオレはちゆ予言の魔性に一生を縛られる運命にあったのだ。

 それを見たとき背筋に走った衝撃を、オレは永遠に忘れないだろう。ある川のほとりにあった、小さな古ぼけた文学碑に刻まれていた小説家の名前。

 それは泉鏡花だった。

 石川県生まれ。尾崎紅葉の弟子で、玄妙な文体で特異な浪漫的世界の幻想を描いた小説家。
 だが、ここで注目すべきは彼の経歴ではなく、名前そのものだ。

 …鏡。そして花

 「そ、そんな馬鹿な!」。我知らず、声に出してうめく。全身が悪寒に包まれる。そして、もう一度、ゆっくりと予言のフレーズを思い出す。
 「後を継ぐのは、小さな鏡と花」。
 そう、「鏡と花」を泉鏡花と掛けると、「泉」という語が引き出される。

 すると、「小さな鏡と花」は「小さな泉」と置き換えることが可能だ。
 つまり…、

 小泉!

 前任の森首相と出生地を同じくする偉人の名前を利用するとは、なんと美しい暗喩表現だろう。
 もしやちゆちゃんは、オレが森喜朗の生家を見に石川の地を訪れ、この文学碑と出会うことまで見越して、この予言を書いたのではないか。そんな考えがふと頭をよぎり、全身の血が逆流する感覚をおぼえた。
 しかも、泉鏡花の本名は泉太郎だ。「郎」という字も、小泉純一郎と共通する。そこまで、そこまで見越していたのか。

 時空を越えてあなたは一体何度―― 我々の前に立ちはだかってくるというのだ!! ちゆちゃん!!!

 「政治に関する知識があれば、次の総理もある程度予想できる」。そう反発する人もあるだろう。
 しかし、小泉氏が出馬の意志を表明したのは予言の1週間後。それまでは候補として名が上がっていたものの、本人は固持の姿勢を示していた

 野中氏や橋本氏の線も濃く、小泉氏という正解を100%の確率で的中させることは超能力でも使わない限り不可能なのだ


3行目:誕生時期も正確に言い当てる

 最後に、3行目を考えよう。

 それは四つの門の哀れな病人が死ぬとき

 これは、明らかに「時」を示した詩だろう。小泉内閣の誕生は4月26日。果たして、これさえも完全に予言されていたのか。

 そうではないと願いたい。この予言の的中は、2999年の破滅の現実性を高めることになるのだ。せめて、少しでも外れた部分が有って欲しい。
 実際、予言の文章を見ても何の事かまるで分からない。時期まで当ててみせると意気込んだものの、結局ちゆちゃんもサジを投げてしまったのではないのか。
 それとも、どうとでも取れる単語を適当に並べてお茶を濁すという小賢しい策謀に手を染めてしまったのか。

 だが、そうではない。
 この詩にもハッキリとした唯一の読み方があり、明確な予言となっているのだ。

 四つの門という言葉は、有名な仏教の説話「四門出遊」を連想させる。


 仏教の開祖・釈迦は大金持ちのボンボンで、何不自由なく暮らしていた。そんな彼が「今日もメイいっぱい遊ぶぞぉ!」と、城から出た時のことだ。

 東の門から出ると、老人を見た。
 南の門から出ると、病人を見た。
 西の門から出ると、死体を見た。

 老いの苦しみ、病の苦しみ、そして死の苦しみ。それぞれの姿から、彼は生きること自体が持つ根源的な苦悩を知らされた。

 ところが最後に北の門から出ると、苦行僧が歩いているのを見た。苦悩を解決するため、彼は出家を決意した。


 「四つの門」と「病人」というキーワードから、詩がこの説話と関連することは間違いない。すると、「哀れな病人が死ぬとき」というフレーズが新内閣誕生の「時」を表わすと考えられる。
 「哀れな病人」とは何か。仏教では、人間の背負う根源的な苦しみを無明業障の恐ろしき病などと表現する。釈迦と言えど、成仏するまではその病気で苦しんでいた。四つの門の病人、それは釈迦のことなのだ。

 しかし、釈迦が死んだのは2月15日
 内閣の発足は4月26日
 「なんだ、まったくの見当違いではないか」。そう思われる方も多いと思う。

 だが先に述べたように、2行目の「全ての偽りが許される日から間もなく、かき消える」というフレーズで、すでに4月までは予知されている。
 だから、この3行目では「何日の出来事か」だけを明らかにすれば十分なのだ。

 それにしても「15日」だ。「26日」とは11日もズレている誤差の範囲だと言い張るには無理がある。
 だが、もちろんそれは正しい解釈ではない。釈迦の命日、「2月15日」。この日付は、実に巧妙な計算の上に用意された単語なのだ。

 要は、たった一つのことに思い至るだけでよい。この月日がそれぞれ、予言の日の十の位と一の位の数字を表わしていると考えるのだ。

 つまり、
 十の位:2月→
 一の位:15日→1+5=

 そう、26日だ

 この詩をどうやら解読できたとき、オレは思わず全身がふるえたことを告白せずにはいられない
 4月26日、小泉純一郎内閣の誕生。

 ちゆちゃんはパーフェクトだった


おわりに

 いかがだろう。
 今日ご紹介したのは一篇のみだったが、人類の歴史がちゆちゃんの予言通りに展開していることがお分かり頂けたと思う。

 一見、意味不明に見えるこの詩。

 雪国で生まれた砂漠の蜃気楼は
 全ての偽りが許される日から間もなく、かき消える
 それは四つの門の哀れな病人が死ぬとき
 後を継ぐのは、小さな小さな鏡と花

 しかし解読を終えた今では、驚異の予言だったと分かる。

 石川県で生まれた森喜朗の内閣は
 4月に退陣に追い込まれる
 ときは26日
 後を継ぐのは、小泉純一郎

 一読して、背すじが寒くなる。この出来事を、実際に起こる前の3月10日にズバリ言い当ててみせたのだ。
 そして、そんな彼女が2999年の人類滅亡を予言しているのだ。オレたち人類の未来は、絶望的に暗い。

 …だが、希望を捨てることはない。

 あきらめない!! それがオレたちにできる唯一の闘い方なんだ。
 みんな、人間の力を信じよう!!
 そしてこれからは、一人一人で闘っていくんだ!!

 ひとりひとりが地球のことを考え――

 ひとりひとりが人類の未来のことを考え続け――

 ひとりひとりが同じ志をもっていればいつかはそれが大きな力となるんだ!!

 人間はどんな危機だって乗り越えられる――――


 人間の可能性は無限なんだ――




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