平成24年2月14日 | 「幸福の科学」の大川隆法総裁とオンニョロ物語とか | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「幸福の科学」の大川隆法総裁。 彼がインタビューなどで語る「学生時代の自分はこうだった」という話は、毎回、内容が微妙に変化しています。 2年ほど前の更新では、それを「最初→7年後」の変化としてご紹介したのですが、その際に使わなかった資料が少しあるので、今日は、同じようなことを「最初→4年後→3年後」の3ステップでやってみようかと思います。 まず、大川総裁が司法試験を受けたときの話について。 初期の総裁は、それを挫折の体験として語っていたのですが……。
こうして並べてみると、「猛勉強が報われずに泣いた」→「記念受験にしては良い結果だった」→「あまりにも学問的に成熟していたので落ちた」という感じで、大川総裁の過去はポケモンのように段階を踏んで進化することが分かります。 また、大川隆法総裁の就活についても……。
「望むような就職ができなくて泣いた」→「大手銀行の内定も出たけど、世間に疎かったのでやめた」→「日銀や大手銀行を選べる立場だったけど、ゼロから実力を試すために辞退して、是非にと懇願された会社に男の心意気で入ってやった」と、さすがに少し盛りすぎな気もします。 あと、91年に何度も自分で語っていた「司法試験には落ちたけど、政治学科で司法試験を受けた中ではトップクラスだったんだよ理論」が、94年の著書では「政府系の大手銀行の人事担当者」のセリフになっているのも興味深いです。 「総裁が落ちた公務員試験に一番で合格して大蔵省入りしたエリートが、総裁が通過できた短答式には落ちている件」も、読者にとってはどうでもいい情報ですが、大川隆法総裁にとっては大切な話みたいです。 とはいえ、個人的な印象としては、大川隆法総裁は、少なくとも自分史に関しては本当に根も葉もない完全なウソはついていないような気がします。 たとえば、総裁の高校時代の同級生の証言と、総裁の証言を照らし合わせてみても……。
オンニョロ物語のバケモノが、信者の脳内では学園祭の王子様に変換されたわけですが、もちろん、大川隆法総裁の「文化祭には劇の主役として登場しました」という言葉に、ウソいつわりはありません。 |
◇蛇足◇
≪総裁が発言を変化させたことには、外的な要因も大きかったと思うので、その辺のフォロー≫ 総裁は、87年の著書で、「司法試験に落ち、大学に残ることもできず、就職も…」という感じに、ネガティブ視点の自分史を語りました。 すると、それを元にして、各種マスコミが「“コンプレックスだらけの人生”が『幸福の科学』を生んだのか」(『スコラ』 91年5月23日号)、「大川隆法 挫折だらけの生いたち」(『月刊Asahi』 91年4月号)などと書きました。
これらを受けて、総裁は、94年の著書で「どうも、この国のジャーナリストや宗教学者には、謙譲の美徳が理解できないようなので」と、ポジティブな視点で自分史を語り直した……という次第です。 その結果、総裁の発言から一貫性が損なわれましたが、これだけ書かれたら言い返したくなるのも、人間なら仕方ないことだと思います(総裁は仏陀ですけど)。 |