「蓮華伝説アスラ」解説ページの各種補足◇

(たいして面白いことは書いてないので、飛ばし読み推奨です)

『蓮華伝説アスラ』の意味不明な結末の意味を考えてみる
「霊魂だっ!!」のシーンの説明
『蓮華伝説アスラ』は「幸福の科学」なのか


平成22年2月14日 「蓮華伝説アスラ」の意味不明な結末の意味を考えてみる

 「蓮華伝説アスラ」の最終回でアスラたちが合体した意味は、いちおう、「空海の霊言」で解釈できると思います。

 大川隆法さんが呼び出した空海の霊は、戦争についてこう語りました。

好戦主義を、陳べる人と、また反戦運動をしてそれらをつぶそうとする人びと、結局は同じ次元の争いである。
(中略)
この地上の人間というものは、唯一の神から出ているものであります。そうであるならば、彼は我であり、我は彼であるのであって、彼が我であり、我が彼であるのに、なぜ彼が敵となろうか。
(中略)
一つのものから岐れた分魂にしか過ぎないということが分っていないからこそ、敵ができ、戦わなければならなくなる。
(中略)
それが分るまでは、われわれは、様ざまなことを経験しなければいけないのです。
たとえば、あなた方現世において、六十年、七十年の人生を生きていくうえにおいて、様ざまな問題に行き当たる。
(中略)
悶々として苦しむ。そして悩みが尽きたときに初めて一つの結論がでてくる。そうでないだろうか。
(中略)
国と、国との戦いということも一つの悩みの形です。
これは悩みとしてつき詰めていくとき、やがて悩みは崩壊していく、戦争というのはある意味では悩みの崩壊の過程である。
(中略)
自他が一体ということ、彼も我も一体、神から出た一体であるということ。この悟りの前の段階(が戦争)である。
悟りの前の段階として、迷いがつき詰めて崩壊するというところまでいかなければいけない
(『空海の霊言』 39〜44頁)

 ひとりの人間が苦悩を経て成長するのと同じように、人類全体も、戦争を通じて成長するそうです。

 つまり、「戦争する → なぜ戦うのか苦悩 → みんな神の子だから戦わなくてよい → 悟り(自他は一体)」みたいな感じだそうです。

 「蓮華伝説アスラ」でも、最初は、地上を破壊しようとするジーヴァ様に対して、アスラは戦って抵抗しました。
 それも空海的には「同じ次元の争い」なのですが、その「経験」を通じて、アスラもジーヴァ様も初美ちゃんも「一つのものから岐れた分魂」だという悟り、すなわち、

『蓮華伝説アスラ』 第5巻 217頁
自他が一体?

 ……に至った、というのが比較的しっくりくる解釈だと思います。



 また、前述の「空海の霊言」の引用部分も、元々は高橋信次さんの影響を受けているフシがあります。
 (※高橋信次さんと大川隆法さんの関係については12月29日の更新を参照)。

『人間・釈迦 第1部』 この世限りでない転生輪廻の修行を続けている自分自身の姿を悟ることで、人類は皆兄弟であったことを心から知るようになろう。
(中略)
しかしその過程では、苦しい経験を何度となく体験する。神理の種は、そうした苦の克服によって人々の心の中に確かな根を張り、(以下略)
『心の発見 科学篇』 64頁)

 ですから、「アスラ」の結末について、高橋信次ベースで似たような解釈をすることもできます。

『人間・釈迦 第1部』 暴力を行使した人々は反作用の暴力を受け、心の中に安らぎを得ることはできない。
『心の発見 科学篇』 117頁)

『蓮華伝説アスラ』 第5巻 212頁

『人間・釈迦 第1部』 闘争と破壊の人生が、いかに愚かな行為であったかを、人類はこうして皆反省するようになる。
『心の発見 科学篇』 63頁)

『蓮華伝説アスラ』 第5巻 216頁

『人間・釈迦 第1部』 そしてこの世限りでない転生輪廻の修行を続けている自分自身の姿を悟ることで、人類は皆兄弟であったことを心から知るようになろう。
『心の発見 科学篇』 63頁)

『蓮華伝説アスラ』 第5巻 217頁
人類は皆兄弟?

『人間・釈迦 第1部』 人類が神仏の子であることを自分自身で悟るようになったとき、一人一人が良く己に問う反省の時間を持ち得るからである。
人類は(中略)永い闘争と破壊の業を変遷して進化してきた。
『心の発見 科学篇』 117頁)

『蓮華伝説アスラ』 第5巻 216頁


平成22年2月14日 長くなるので本文から省いた「霊魂だっ!!」のシーンの説明

 自殺した俳優・沖雅也さんの遺書には、次のような文言が入っていました。

人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。
若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。

 そんな感じの「どうせ死ぬなら、生きる意味なくね?」的なアレに関して、高橋信次さんはこう述べました。

『人間・釈迦 第1部』 私達は(中略)あの世とこの世を輪廻しては永遠に自分の魂を磨いている
『心の発見 神理篇』 210頁)

意識(魂)こそ、私達の根本であり、自分そのものであって、あの世とこの世を転生する、生死のないものなのである。
人間の生死とは、肉体舟の乗り換えにすぎず、
『心の発見 科学篇』 74頁)

 つまり、人生とは魂が5次元、6次元、7次元とレベルアップしていくための経験値稼ぎだから、意味があるのだそうです。

 この教義は、大川隆法さんの「幸福の科学」にも引き継がれて、

私たち人間は、はるかむかしから、永遠の生命をもって生きております。
そして、何度も何度も、地上に生まれかわっては、人生修行を積んでいるのです。
『太陽の法』 26頁)

われらは神のエネルギーの岐れたものであります。われらのエネルギーは無限であります。
(『空海の霊言』 150頁)

われわれは神から分かれた思考、エネルギー体であります
『ソクラテスの霊言』 92頁)

 「蓮華伝説アスラ」で、アスラが唐突にわけの分からないことを言い出したのは、実はこの話をしています。

『蓮華伝説アスラ』 第5巻 100〜101頁

 この話は、「幸福の科学」でも重要な教義とされており、

私は、おまえたちにこれだけはどうしても言っておきたいのだ。
おまえたちの最低限の仕事として、人びとに永遠の生命を教え、また人間がこの世とあの世を転生輪廻している存在であるということを、教える必要があるということなのだ。
実は、この思想こそが、人間として生まれ、生き、成長していく過程において、発見するところの最大の神理であるのだ。
ほかにいかなる地上的真理を学ぼうとも、それらの真理の値打ちは、この神理にはかなわない。
この神理から見れば、ほんの子供だましにすぎない。
人間が永遠の生命を生き、転生輪廻しているという事実。
その事実を知った時に、人びとの価値観は変わらざるをえない
『仏陀再誕』 204〜205頁)

 つまり、「霊魂だっ!!」のコマは、アスラが最大の神理を悟ったという重要な場面で、物語全体の価値観もこのコマを境に変わっています。

『蓮華伝説アスラ』 第5巻 194頁

 この辺も、「人生=魂の修行」ということから、怒りや恨みの想念を出しながら戦って寿命をのばすのはダメで、愛や調和を祈りながら死ぬ方がベターという意識みたいです。


平成22年2月14日 『蓮華伝説アスラ』は「幸福の科学」なのか

 菊池としを先生は、「アスラ」の連載初期には大川隆法さんの存在を知らなかったと思われます。

 というのも、「アスラ」の第1話が雑誌に掲載されたのは1985年9月だったからです。
 その時点で幸福の科学は存在せず、大川隆法さんは「日蓮の霊言」を出版しただけの会社員でした。

 その辺の主な流れをまとめると、

1976年 高橋信次、死去。
1985年8月 大川隆法の処女作『日蓮の霊言』が発売。
1985年9月 『蓮華伝説アスラ』が連載開始(『マガスペ』85年10月号)。
1985年11月 大川隆法の第2作『空海の霊言』が発売(その後も『キリストの霊言』『天照大神の霊言』……と続々刊行)。
1986年7月 大川隆法、脱サラ。
1986年10月 幸福の科学、誕生。
1987年6月 幸福の科学の主要図書、『太陽の法』が発売。
1987年7月 『蓮華伝説アスラ』が連載終了(『マガスペ』87年8月号)。
1987年12月 『蓮華伝説アスラ』の単行本最終巻が発売(書き下ろし130ページ)。
1987年12月 この時点で「幸福の科学」の会員は1700人ほど(その後、88年に4000人、89年に1万3000人、90年に17万人、91年に200万人、92年に500万人……と公称会員数が増加)。

 幸福の科学が世間に知られるのは、「アスラ」の終了から2年以上あとのことになります。



 一方、菊池としを先生は、「アスラ」の連載初期から高橋信次さんのことは知っていたと思われます。

 たとえば、「アスラ」の第1話のサブタイトルは「目覚めた光子体」ですが、

『蓮華伝説アスラ』 第1巻 2頁

 「光子体」というのは、高橋信次さんが使っていた言葉でした。

『人間・釈迦 第1部』 私達の肉体に吸収されている光と、細胞より造り出されているもう一つの反宇宙的身体こそ、光子体というのである。
『心の発見 科学篇』 124頁)

 また、「アスラ」第6話の憑依ネタでは、「お前の心と邪鬼の意識が同じならひきはなすことは無理だ!」といった設定がありますが、その辺の世界観も高橋信次さんの影響っぽく見えます。



 それから、菊池としを先生は、「アスラ」の連載を終えるころには大川隆法の著書を読んでいたと思われます。

 たとえば、「アスラ」の最終回には、アスラの前世はシャカであり、ラ・ムーであるという話が出てきますが、

『蓮華伝説アスラ』 第5巻 191頁
※この台詞の通りなら「アスラ=大川隆法」ですが、作中では「方便だ」と否定されています

 この「シャカの前世がラ・ムー」というのは、高橋信次さんの著書にはなく、大川隆法さんの著書では頻出するところです。

ムーは、太陽信仰と、太陽科学万能の時代を迎えておりました。
この時期に、ラ・ムーが、肉体をもって生まれたのです。ラ・ムーとは、何代か前の釈迦の過去世です
『太陽の法』 191頁)

 また、「アスラ」の終盤に頻出する「悪想念」という単語も、高橋信次本にはなく、大川隆法本によく出る言葉です。

 その他、大川隆法さんの影響と思われる単語・設定は多く、「アスラ」を描いたひとが大川隆法を知らなかったとは考えにくいです。



 以上のことから、菊池としを先生は「アスラ」の連載中に大川隆法の本を読むようになったと考えられます。

 当時、幸福の科学はマイナーでしたが、大川隆法さんの著書は何十冊も出版されていました。
 主人公の決め台詞が空海の言葉である漫画を連載中だった菊池としを先生が、本屋さんの新刊コーナーで「空海の霊言」というタイトルの本を見かけて……といったことがあっても不思議はないです。

 とはいえ、「アスラ」の序盤では、宗教よりも永井豪先生の影響の方が大きく、大川隆法さんの影響が激増するのは、連載終了後の単行本書き下ろしのことです。
 それも、まだ「マンガを描く上で資料として本を読んだ」という感じで、ちゃんと大川隆法本の内容をとしをナイズしてマンガを作っています。

 その本末が転倒して、マンガの資料が宗教なのか宗教の資料がマンガなのか分からなくなるのは、「アスラ」の次回作、「明王伝レイ」の連載中になります(詳細は「明王伝レイ 第1部」と幸福の科学を参照)。

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■菊池としを全連載解説
『蓮華伝説アスラ』 …大川隆法の本を資料に描かれた少年漫画
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レイ第1部と幸福の科学
『YOH〜光の抄〜』 …打ち切り

『天空の門』 …ビジネスジャンプ誌上でも「幸福の科学」を布教
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