誕生日
(略)1999年1月1日にヤクバハイルの日記サイトでの「ご自由にモナーをお使いください」での書き込みにより「オマエモナー」が生まれた。 (武藤氏のログのサルベージによる)
平成20年2月14日 | モナーの作者はヤクバハイルさん? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1990年代後半、インターネット上で「モナー」というキャラクターが誕生しました。 Wikipediaの「モナー」の項などによると、モナーは「あめぞう」または「あやしいわーるど」という掲示板で生まれ、2chの「てすと」スレッドなどで改造されていき、現在の形に落ち着いたというのが通説です。
ところが、このモナーはヤクバハイルさんという人物がひとりで作ったという説があります。 2001年にヤクバハイルさんご本人が主張したところによると、「モナー」は元々ヤクバハイルさんが作った企画の中に出てくるキャラクターだったのだそうです。
また、ログは現存しませんが、ヤクバハイルさんの日記(元のURL)には、次のように書かれていたそうです。
以上の主張と、モナーが掲示板に登場した時期を合わせると、おおまかな経緯は次のようになります。 ●1997年、ヤクバハイルさんが某家電メーカーの子会社に「オマエモナー」の企画書を提出 ●その子会社→親会社→グループ各社と、「オマエモナー」が広まっていく ●1998年ごろ、そのグループ社内の人間が勝手に、アングラ掲示板に「オマエモナー」を貼り付ける ●1999年ごろ、アングラ掲示板から2chに「オマエモナー」が転載され、どんどん広まっていく また、ヤクバハイルさんの主張によれば、モナーの作者がヤクバハイルさんだと知っている企業グループが存在しており、2chでモナーが暴れるとヤクバハイルさんに抗議してくるとのこと。
もしも「鬼太郎が企業の悪口を喋っているアスキーアート」が2chに貼られたとして、そのことで水木プロに苦情がいくとは考えにくいですが、「モナー」の場合はそれが起こっているのだそうです。 さて、インターネットアーカイブを見ると、2001年5月16日には、ヤクバハイルさんのホームページの入り口に「『オマエモナー』はヤクバハイルの著作物です」と書かれています。 その文面が、2001年5月20日以降は「『超ヒトネコ伝説オマエモナー』はヤクバハイルの著作物です」という記述に変わりました。 たぶん、この「超ヒトネコ伝説オマエモナー」というのが、ヤクバハイルさんが某家電メーカーの子会社に提出した企画だと思われます。 では、「超ヒトネコ伝説オマエモナー」とは、どのような企画だったのでしょうか。 ヤクバハイルさんのホームページには、「凍結中のこの企画が再開されるまでここに置きます」として、「超ヒトネコ伝説オマエモナー」のギャラリーがアップロードされていました。 それによると、「超ヒトネコ伝説オマエモナー」の主人公の名前は山田モナー。口癖は「勘弁してくれよぉ」だそうです。 また、「超ヒトネコ伝説オマエモナー」にはギコ猫も登場。「モナーのボケに鋭いツッコミ役」という設定だそうです。 さらに、ぞぬも「超ヒトネコ伝説オマエモナー」のキャラクターだったそうで、「象犬=バイオテクノロジーの産物」という設定だそうです。 しかし、2ちゃんねるに「ぞぬ」が登場した経緯は、2000年4月に『コンビニの「唐揚げ」って・・・』スレッドで「ぞぬ」という名の架空の生き物が誕生した後、「ぞぬ」の外見として「あずまんが大王」の忠吉さんのアスキーアートの頭部を転用したものが定着した……という流れでした。 忠吉さんが「あずまんが大王」に初登場したのは1999年の「電撃大王」ですし、1997年にヤクバハイルさんが提出した企画書の中に「ぞぬ」という名前とグレート・ピレニーズの頭部を持つ生き物がいたとは考えにくいところがあります。 その他、「しぃ」や「マララー」など、一般には2000年以降に2ちゃんねるで誕生したと考えられているアスキーアートも、「超ヒトネコ伝説オマエモナー」のキャラクターなのだそうです。 そして、「超ヒトネコ伝説オマエモナー」にはネオ麦茶というキャラクターも登場。「職業/キャットキラー」という設定で、2000年5月にバスジャックをした少年が「ネオむぎ茶」という名前で2chに犯行予告のような書き込みをしていたことが元ネタだと思われます。 ヤクバハイルさんは、「『超ヒトネコ伝説オマエモナー』はヤクバハイルの著作物です」と述べていますが、1997年から凍結されている企画の中に「ネオ麦茶」が存在していたとは思えませんし、「超ヒトネコ伝説オマエモナー」が2ちゃんねるの影響を受けているのは確かでしょう。 さて、ちゆが初めて「モナーの作者=ヤクバハイルさん」説を聞いたのは、2001年のことでした。 その頃のヤクバハイルさんは、前述の通り、「モナーは自分の企画だったのに、他人が勝手にネットの掲示板に流出させてしまった」と主張していたと思います。 ところが、2002年以降になると、別の主張を聞くようになりました。 それによると、実は、ネットの掲示板に最初にモナーを投稿したのは第三者ではなく、ヤクバハイルさん本人なのだそうです。 ……2001年ごろの主張と矛盾しますが、何でも、ヤクバハイルさんのホームページで1998年7月に公開した文章から、そのことをハッキリ述べていたというのです。 さっそく、ヤクバハイルさんのホームページを見てみると、“1998年に公開した文章”となっている過去ログがあり、その中に……。
1998年7月に更新したという日記の中で、すでにモナー、ギコ猫、しぃなどが完成しており、アスキーアートの横には「(C)Yakuba」とまで入っています。 一般には、ネットの掲示板に「ギコ」と鳴く猫が登場した最も古いログは1998年12月だと言われており、もしも本当に1998年7月の時点でこの文章を更新したのなら、ヤクバハイルさんがギコ猫やモナーの産みの親である強力な証拠となります。 しかし、これが本当に1998年7月に更新されたログだとすると、いくつか奇妙な点があります。 まず、前述の通り、2001年ごろのヤクバハイルさんの発言では、モナーがネットに流出した理由は「某社のグループ社内の人がアスキーアート・キャラクターをアングラサイトに貼りつけてしまった」という話だったのに、この「1998年のログ」では、ヤクバハイルさん本人が「あやしいわーるど」にモナーを貼りつけたと宣言している点。 また、「しぃ」というキャラクターは2000年ごろから有名になりましたが、その名前は「しー」という人のハンドルネームだという発祥が広く知れ渡っています。 もしも1998年にヤクバハイルさんが「しぃ」を発表していたとすると、現在知られている歴史とのズレが大きく、現在のヤクバハイルさんの説明だけでは、その食い違いを埋められません。 それと、ヤクバハイルさんのホームページの「過去ログ」によると、1998年7月の時点で、次のようなモナーが完成していたハズですが……。 ヤクバハイルさんが2001年に「1ch」に投稿した文章では、耳が丸く、口が「∀」ではない旧型モナーが使用されていました。
1998年から「耳が三角のモナー」を広めてきたヤクバハイルさんが、2001年に自分がモナーの作者だと主張する書き込みでわざわざ「耳が丸いモナー」を使った意図が分かりません。 そして、特に気になるのは、ヤクバハイルさんのホームページの“1998年に公開した文章”として置かれている過去ログが改変されているという点です。 インターネットアーカイブというサービスでは、ネット上に存在する無数のホームページの状態を定期的に保存しており、「あるホームページの○年×月の時点での状態のコピー」を確認することができます。 そこで、ヤクバハイルさんのホームページの“1998年に公開した文章”の過去ログの、「1999年の状態」と「2003年の状態」を見比べてみると……。
……つまり、ヤクバハイルさんのサイトの過去ログでは、「1998年に書いた」ことになっている文章が、1999年10月の時点では存在せず、2003年ごろに出現しているのです。 ついでに、ヤクバハイルさんのホームページの「過去ログ」の別の部分を見てみても……。
1999年には何もなかった部分に、後からモナーが付け加えられています。 どうして過去ログが改変されているのかは分かりませんが、とりあえず、「1998年7月の日記」として過去ログに載っている文章が「モナーの作者=ヤクバハイルさん」の証拠として認められるのは難しいと思います。 しかし、ヤクバハイルさんがモナーの作者だという根拠は、「1998年7月の日記」だけではありません。 2005年ごろ、武藤さんという人が発言したところによれば、ヤクバハイルさんの1999年1月1日の日記(現存しませんが元のURLはこちら)に、次のような記述があったそうです。
もしも本当に1999年1月1日の時点でヤクバハイルさんがこれを更新していたのなら、普通のモナーすら普及していなかった時代にマッハライダーモナーすら完成させていたことになり、ヤクバハイルさんがモナーの産みの親である強力な証拠になります。 2008年2月現在のWikipediaの「モナー」の項でも、モナーの誕生日について、この「1999年1月1日の日記」が根拠に挙げられています。
しかし、実は、この「1999年1月1日」付の文章は1999年1月1日に書かれたものではないと思われます。 たとえば、この文章の中には「IME2000前提」という記述がありますが、IME2000の発売日は1999年7月9日です。 1999年1月1日の時点ではIME2000を使っている一般ユーザーは存在しないので、IME2000を前提にしたモナーの描き方を更新するハズはありません。 また、「AAE・ギコペではテンプレを使えます」ともありますが、ギコペができたのは2000年6月、AAEが作られたのは2000年7月ごろです。 少なくとも、1999年1月1日の時点で、IME2000を前提にして、AAEやギコペにも言及した文章を更新することは不可能でしょう。 ヤクバハイルさんの「1999年1月1日の日記」は2000年7月以降に書かれたものだと思われます。 ちなみに、ヤクバハイルさんの「1999年1月1日の日記」が書かれていたレンタル日記は、過去の日付の日記を書くことができる仕様になっており、書き込みが可能な最も古い日付は1999年1月1日でした。 念のために試してみたところ、簡単にモナーが存在する「1999年1月1日の日記」を作ることができました。 以上のことから、ヤクバハイルさんの「1999年1月1日の日記」は、2000年7月以降に、何らかの理由で過去の日付を指定して書き込まれたものである可能性が極めて高いです。 ところが、武藤さんの発言では、ヤクバハイルさんの「1999年1月1日の日記」に三角耳のモナーやマッハライダーモナーがあったことから、次のように考えています。
また、ヤクバハイルさんのブログでは、ご本人も次のように主張しています。
しかし、問題の日記は2000年7月以降に書かれた可能性が高く、それが「1999年1月1日」に書かれたという前提に基づいて判断すべきではないと思います。
なお、2005年のヤクバハイルさんの発言によれば、「幼児期にアルベルト・カルペンティールの絵の一部をひっくり返してラクガキした」ことからモナーや「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!」を発想したのだそうです。 これをもって、ヤクバハイルさんがモナーの作者だという証拠になると考える人もいるようです。
しかし、これは「単にモナーに似たものを見つけただけ」という可能性も否定できず、これだけでは「モナーの作者=ヤクバハイルさん」の証拠とするには弱いと思います。 あと、2005年には、霧島夏樹さんという人が「モナーの作者=ヤクバハイルさん」説を主張しましたが、特に根拠は述べられていないので、あまり参考にはなりません(詳細はモナーの起源に関する霧島夏樹さんの証言を参照)。 そんなこんなで、「モナーの作者=ヤクバハイルさん」説の信憑性を考えると……。 ●「しぃ」や「ギコ猫」がヤクバハイルさんに作られたという説は、現在知れ渡っている歴史との食い違いが大きいので、その差を埋めるには、もっと説明が必要 →今のところ、筋の通った説明はない(それ以前に、モナーが最初に流出した経緯など本人の説明も一貫していない) ●「モナー」「ギコ猫」「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!」などが全部同一人物によって同じ時期に作られたというのは、けっこう物凄い話なので、その物凄い話を信じるにはそれなりの証拠が必要 →今のところ、ヤクバハイルさんがモナーの産みの親だというまともな証拠はない(説明もなく改変されている過去ログや日付の間違った日記は、証拠としては弱い) ……といった感じで、現在のところは、「モナーの作者=ヤクバハイルさん説」の信憑性は低いと思います。 |